【アクティベートラボ社長・増本裕司氏インタビュー】
デジタルデバイドの障害者をなくして、障害の有無に関わらず、誰もが諦めなくてよい社会を創りたい。

2021.06.22 インタビュー

 2015年の創業以来、

・障害者視点で障害者が活躍できるマーケットの創出
・デジタルデバイドの障害者をなくす

の2点を掲げ「障害の有無に関わらず活き活きと働ける社会の実現」を目指している株式会社アクティベートラボ(東京都新宿区西新宿、代表取締役:増本裕司、以下アクティベートラボ)。一言で障害者と言っても、障害の原因や部位によって必要な情報やサポートは異なることに着目し、不自由な部位をイラスト上で感覚的に指定することで最適なマッチングを行うことが出来るマッチングエンジン「ブイくん(※1)」、身体障害者に特化したSNS「OpenGate(https://open-gate.jp/)」、障害者雇用コンサルティング、自身の障害内容を登録する事で人事が採用判断ができる「障害者採用システム」および、それに付帯する様々な雇用サービスから、様々な障害者に関連した事業を展開しているベンチャー企業です。
 増本社長ご自身も36歳のときに脳出血で倒れ、現在身体障害者2級。それゆえに自らが障害者の視点・視座から障害者の立場に立った、障害者に必要なサービスを創出するべく起業を思い立たれたそうです。今回のインタビューでは増本氏に、各種サービスの誕生秘話、アクティベートラボの目指す社会、障害者のデジタルデバイドに関する課題などについてお伺いしました。まずは起業のきっかけから…ということで増本氏のパワフルで情熱的な語り口で今回の取材はスタートしました。それでは詳細は本編をお読みください。
(アクティベートラボでは「障害者」という表記を使用していることから、本記事でも「障害者」という表記に統一して掲載しております)

 増本裕司氏プロフィール…大学卒業後、マンションデベロッパー、情報通信広告代理店の営業マンとして従事。その後ベンチャー会社を経て、某大手通信会社の事業企画としてさまざまな業務の企画立案~実行までを手掛ける。2009年9月 就業中、脳出血で倒れる。意識不明2週間、言葉もしゃべれず、車椅子からリハビリをし、身体障害者(2級)になる。2015年アクティベートラボを創業。障害の部位ごとに自分の情報を登録できる「ブイくん」というマッチングエンジンを開発し、ブイくんを利用して、同じ障害を持つ人とつながれるOpenGateというポータルサイトを開設。「ビジコンなかの」最優秀賞、「かわさき起業家オーディション」優秀賞、「アントレプレナー大賞」ソーシャルビジネス部門賞、三菱総合研究所主催「INCF ビジネス・アクセラレーション・プログラム 2019」で最優秀賞など様々な賞を受賞。

聞き手:デジタルわかる化研究所 岸本暢之
撮影 :デジタルわかる化研究所 豊田哲也
インタビュー実施日…2021年6月2日

 

(アクティベートラボオフィスにて)

 

バリバリのビジネスマン。脳出血で突然倒れ、2週間昏睡状態に。目が覚めたら重度の身体障害者に。そして起業。

——会社員時代に、健常者から障害者になるという大変なご経験をされていますが、起業のきっかけについて教えてください。

(増本) まず僕が、大学を卒業してからアクティベートラボの起業まで何をやってきたかを話しましょう。まず実家は長崎なんです。NTT勤めの父親への反発心もあって家を出て山梨の大学に行きました。そして就職活動経て、大手マンションデベロッパーの営業になりました。1年目で新卒で営業1位に、全国でも千数百人のうち3位ぐらいになり、その後リクルートに転職して、 中古車情報誌カーセンサーの営業をやりました。

——まだカーセンサーは紙だけの時代ですよね?

(増本) そうですね。まだ紙の月刊カーセンサーでした。その後隔週になり、そして週刊雑誌になるという、非常に伸びている時代を経験させてもらいました。分譲マンションの営業から比べると、なんて素晴らしい環境なんだろうと思い(笑)、朝から深夜まで一生懸命働きました。 その甲斐もあり、社内の新人賞や優秀賞などもいただき、割と順風満帆に過ごしていました。ところがインターネットが普及し始めて、ちょうど Yahoo JAPAN などのサービスが盛り上がりを始めたぐらいのタイミングだと思うのですが、自分はその大変革の時代について行けているのかなと少し不安に感じるようになりました。 またちょうどその頃カーセンサーも週刊化され、このペースで働いていることに若干の疑問も感じるようになりました。

——さすがに仕事が楽しくても、時間が足りなくなったというわけですね(笑)

(増本) まさにそうなんです(笑)。それで転職活動をして、インターネットのデジタルマーケティングを行なうベンチャー企業やネットインフラを扱うベンチャー企業を経験したのちに、その出資会社でもあったUSENに入社しました。USENでは経営者の宇野康秀さん(現取締役会長)を見て育ち、様々な仕事に本当に楽しくかつハードに従事していました。
 ところが2009年に9月14日月曜日の朝10時、勤務先だった東京ミッドタウンにて脳出血で倒れたんです。

——勤務中に突然倒れたということですか?

(増本) はい。業務上のトラブルがあったんですね。それで朝にちょっとイライラして喫煙室でタバコを吸ってから自席に戻り、そのトラブルの相手に電話をかけようとした瞬間に頭に血が上って倒れて、そして意識不明。そのまま病院に運ばれ、その後、混濁した意識のなかで2週間、生死を彷徨いました。意識が戻った直後は自分が何者かもわからず、そして、自分が全く話せない事、全く起き上がれないことに気づき絶望しました。
 余談ですが、月曜日の朝10時。9月、そしてタバコ…これは脳卒中の典型的なパターンらしいです。加えてトラブルでの怒り(笑)。働き盛りの方は気を付けた方がいいですよ。

——そこからは社会復帰まで、かなりの時間がかかったんでしょうか?

(増本) 当時担当医からは「増本さん、違う人生を歩んでください」とさえ言われました。一晩中大泣きしたことも覚えています。ただそのあと、「やればできる」という言葉を記憶の中から探り当て、どうせこれからずっと暇なんだからせめてリハビリぐらい一生懸命にやろう!と思い直し、4年間しこたまリハビリに専念しました。それでも右半身マヒ、吃音、失語、高次機能障害が残り、現在は身体障害者2級です。

 

——座ってこうして話している限り、まったくそのようには思いません。

(増本) ありがとうございます。本当に暇だったので、一日数時間リハビリをやりまくったことも、こうして話ができている一因だと思っています。辛いこともあったのですが、「こんな経験、それこそ健常者にはわからないだろう?」というような強がりがモチベーションになっていたのかもしれません。

 またそのリハビリ期間に、当然お金も無くなってきますので、これからの自分の暮らしや自分と同じ障害を持つ方の生活の様子、そして公的な書類の届け出など、様々な事柄をインターネットで調べたかったのですが・・・脳出血でリハビリ中の私が本当に欲しい情報に、なかなか辿り着けないのです。先に話したようなキャリアの私ですので、ネットリテラシーも低い方ではないのですが、それでもどこを探しても脳出血の障害者である私が欲しい答えが見つからないのです。 そこでとんでもなくたくさんの時間と労力をかけて調べると、例えばブログの奥の奥の奥で見つかったりするのです。 これはまさにデジタルデバイドだと感じました。いろんな障害者がいるのに、その各々の方が本当に欲しい障害者向けの情報にたどり着けないことに、強い課題を感じるようになりました。

 このリハビリの期間、私は障害者の世界を思いっきり見て回ろうと思い、様々な障害者にもお会いしました。外に行くのも苦労する、天気が悪いと外に出ることもできない障害者にとって、本来インターネットは強力な味方になるはずなんです。
 障害者になると、自治体が非常に身近な存在になります。障害者として生活していく上で、こちらから進んで情報を取りに行かなければならなくなるわけです。ところが障害者の大部分はネットに慣れていない、そして行政側も慣れているとは言えない。そのような中で、行政との申請などのやり取りを諦めちゃう障害者だっているわけです。操作がわからないからと、インターネットで情報を取るのを端から諦めている障害者もたくさんいるのです。そして実は、障害の種類によっても、デバイスの扱い方、検索内容、それらは全て違うのに、情報供給側もそれにはほとんど対応できていないのです。

——リハビリ期間中、自らでも調べて困り、さらにたくさんの障害者の世界を見て回ったことで、「それぞれの障害者が欲しい情報に簡単にアクセスするサイトがない」「障害者が必要な情報に辿り着けない」という障害者を取り巻くデジタルデバイドのリアルな課題が見えてきたわけですね。

(増本) まさにその通りです。4年間リハビリをしてなんとか自力で歩けるようになり、多少不自由はありますが、ほぼ普通に話せるまで回復しました。車も改造をして運転できるようになりました。
 その後就社をするんですが、そこから起業に至るまで、私が体験した障害者を取り巻く環境はかなり厳しいものでした。
 まず60社にエントリーしても返事が来たのは30社だけ。面接ではこちらが「頭はクリアーですから働けます!」と言っても、「通えますか?」「脳卒中ですね・・・」ということしか言われない。「通勤ラッシュの電車に乗るのは無理です」と言うと、これまでの経験も実績もスキルも聞かれることなく、そこで話は終わりでした。
 ようやくアルバイトで採用された大手建設コンサルタントでは、仕事を与えられませんでした。スーツに障害者用の片手で着けられるネクタイをして1週間座っていても何も言われないので、何をしたらいいのか?と聞くと「ただ座っていればいい」と言われました。
 これが障害者を取り巻く現実でした。ただこういう現実も、多くの障害者は発信もできないし、日本各所でこういうことが起こっても、悩みや困りごとを相談することができないことがわかってきたんです。

——そういった厳しいご経験をされて、そこで沸々とした思いが。起業へとつながるんですね。

(増本) そうです。自分の就社体験から、この障害者の雇用の現状について、何とかしたいという思いが湧いていました。さらに障害を持っている人の生活がいかに不便で、また、いかに情報からとり残されているかに気づきました。障害者を取りまく環境には、まだまだ足りないものが多すぎる。「いったい何が足りないのか、どうすれば障害者が暮らしやすくなるのか」…それを毎日のように考えていました。
 身体障害者は、障害の重さによって1級から7級まで等級分けされます。私は2級ですが、車も改造ながらも運転できますし、人並み以上の営業もできますが、それでも「障害者」と一括りにされてしまいます。そして日本人特有なのかもしれませんが、慈しみのような「こういったお金のかかるインターネットサービスを紹介してもいいのだろうか・・・」のような気持ちが、さらに障害者をインターネットから遠ざける要因の一つにもなっているのです。
 普通の経済活動が行われていない障害者マーケット、障害者自身も社会参画のハードルの高さに落胆し、やる気を喪失している人が多いことに強烈な問題意識を持ち、自分自身の力で少しでも良い状況にもっていこうと思い、2015年に自己資金と日本政策金融公庫からの融資をもとに起業しました。

(次ページへ続く)

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2021年デジタルの日