経済的弱者は、デジタル弱者になりやすい。
(東京学芸大学附属小金井中学校長 坂口謙一さんに聞く)
「No one left behind 誰一人取り残さない」平井デジタル改革大臣が掲げるスローガン。デジタル推進についていけない人にも優しい社会の実現を目指そうとしている。
高齢者等でも扱えるUI、UXを意識した開発を進めることも重要であるが、次の時代を担う子供たちへの教育は進んでいるのだろうか。
教育の「誰一人取り残さない」社会は実現への活動はどうなっているのか。その現場を知る。
東京学芸大学附属小金井中学校 校長
東京学芸大学 学長補佐 教授
坂口謙一さん
インタビュー実施日…2021年4月25日
——中学校、義務教育におけるデジタル教育はどのようになっていますか。
大きくは「教科の学習と、教科外」の二つの活動に分かれます。まず、教科の学習の核になっているのは、中学校の技術科です。かつては、男子だけの科目であった「技術科」は、現在男女共学です。
技術科は、
A材料と加工の技術
B生物育成の技術
Cエネルギー変換の技術
D情報の技術
という四つから構成されており、この「情報の技術」にデジタル教育が組み込まれています。1989年からこの「情報の技術」が入ってきました。かなり歴史がありますね。
情報リテラシーと呼ばれる情報端末やネットワークを使うスキル等を学ぶものから、プログラミングまで。今やほとんどの家電品はコンピュータ制御されていますよね。コンピュータが日常生活にあふれているため、自分の思考をコンピュータに指示する「指令書」づくりとしてのプログラミングは学んでおくべきだという考えです。小学校にもプログラミングの授業があるから、今後は中学でも肥大化する予定ですが、必ずしもメインにはならないでしょう。
むしろ、コンピュータなどの情報機器(ICT)を日常生活のツールとして利用するための学び、特にネットワークの勉強は強化されています。ネットワークを使うときのモラル、「情報モラル」の取り扱いが重要視されています。同時に著作権などの知的財産も情報化の中で積極的に取り扱うようになっています。
ソフト・アプリの使い方等は、かつては中学校で学びましたが、今は小学校で学びます。小中高の3段階で情報技術が学べるように連携するようになってきました。この連携づくりで20年かかりましたが、現在、高校では情報科が必修となっています。
——たとえば、「ワードを使える」ことは中学卒業時点では当たり前ですか。
それは小学校です。義務教育では、基礎の基礎。義務教育ではないけれど、高校進学が当たり前のようになっている今は、高校卒業で、国民に必要な最低限の情報技術が身につくようになっています。高校の必修教科「情報科」などでの学びを通して、たとえば、デジタルってなに?というのが科学的に理解できている状態であり、コンピュータネットワークとはなにか?というのが科学的に理解できている状態ですね。それが、国が標準として思っている人間像であり、理想形です。
——理想形であると同時に、そこから外れてくる子供も多いのではないでしょうか。
学校での教育以上に、家庭での経験もすごく重要ですね。たとえば、スマートフォンのアプリを使うことなどは、生活の中で小学生もやりますよね。学校での学習ではなく。しかし、それが全員かといえば、全然違います。社会的弱者は家庭でその経験が詰めないから、取り残される心配があります。今の新自由主義社会で起きる問題です。
——たとえば、昨年ほとんどの学校がリモートになった時期がありました。家にWiFi環境が確保できていない子供だってたくさんいたはずですよね。
マスコミで放映されるのは先端的描写を切り取っただけで、ごく一部だと思います。Zoomで授業をやっていますとか。いかにも「やっています」というような。それは一部ですよ。
——「デジタル嫌い」という子供もいますよね。
親がデジタル嫌い・不得意だと子供もそうなってしまいます。お父さん、お母さんが、あえてスマートフォンを持たない家庭とか。そういう家庭は確実にあります。そして、経済的弱者は強制的にデジタル格差の問題にぶつかっています。ますます昨今それが明らかになってきました。リモートが当たり前になってきたのが理由です。
GIGAスクール構想として、一人1端末の施策が2021年4月から始まっています。高速ネットワークに繋がった端末を、各学校責任者がしっかり用意するように、ということです。公立の場合は自治体が用意してくれました。端末の使い方は学校・自治体次第で、家に持って帰ってもいい、というルールを敷く自治体がほとんどです。ただ、問題はネットワークです。高速ネットワークまで用意されている、というわけではないので、端末は手に入ったが「これ、どうやってつなぐの?」という状態です。通信量まで負担できないため、要はお金になってしまい、どうしても経済的弱者は、デジタル弱者になりますね。その経済的弱者に対する福祉的な側面がまだまだおろそかになっている気がします。
——もうひとつの「教科外」はどうなっていますか。
教科の中だけでは限界があり、「道徳」や「総合」、そして生徒指導など学校生活全体を通して情報の力を身に付けるように動き始めています。学校教員の負担は大きいです。教員の数はギリギリで、足りてはいないのです。民間から集めればといっても人件費に係るので苦しいところです。また、技術科の先生だけでなく、小学校の先生も情報技術の発展は早いのでデジタルは学び続けないと教えられなくなってしまいますから、先生も大変です。
——企業社会からの要請もありますよね。
経済界の声→国→学校と政策・施策が下りてきます。もちろん、これ一辺倒ではないのですが。
——日本の教育は遅れていますか。
日本の教育は世界の先進国の教育とほぼ同じ路線で動いています。常に、世界は見ています。日本の教育を学ぶためには世界的な潮流を感じる必要があります。最先端ではないけれど、遅れているわけではないと思います。
——デジタルをプロとして職業にするための教育はどうですか。
本気でプログラミング等の技術を習得したい場合は専門高校が担います。情報に特化した学科をもつ専門高校が近いです。一番近いのは高等専門学校(高校+短大のような学校)、いわゆる高専。相当高度な技術を学べるので、そこで学び大企業で働いている人も多いです。
——日本のエンジニア不足は、深刻ではないですか。
プログラマーやエンジニアは日本で足りていない職種です。即戦力となるIT人材の育成については、専門学校(高専ではなく専修学校の一種です)が担っている部分が多いです。
——中学校の技術科の先生が、高齢者のスマホの先生をやるようなことはできないですか。
教員は過重労働の典型。副業も禁止です。ただ、学生だったら高齢者にスマホを教えたりすることもできるかもしれません。専門高校の生徒も可能性はありますね。専門高校は社会とのつながり・貢献を求められており、職業高校の高校生・高校自体は社会にいかに役立つか、という考えを重要視しているので。
——デジタルデバイドという言葉は20年以上まえからありましたが、そんなに普及していなかったと思います。今、まさに旬な言葉だと思いますがどうですか。
デジタルデバイドは教育の場だと死語と化しています。企業はそうでないかもしれませんが。デジタルデバイドは、経済的なことで格差が生まれていることとして、ずっと議論されてきました。だから教育者にとっては、今さら何?という感覚だと思います。しかし、死語と化しているから鈍感になっている節もあります。取り残される子供たちの問題は、難しく大きい問題ですね。
——デジタル教育に関して大きな問題はないですか。
情報の世界は教育の外の世界で大きく動いていますね。その本質は常に教育の場で議論しているところですが、教育していることと社会のズレが生まれていないかが心配です。デジタルの進化は早いですよね。今学校で学んでいることと実社会との差が大きくなる。学校教育の内容・仕組みは10年ごとに刷新されますが、10年後に今やっていることが正しいかはわからないです。本質を見定めながら、今はもう少し早めに更新をかけています。
——高齢者のデジタル知識も問題ですね。
高齢者は学校教育の恩恵を受けられていません。それ以上に貧困にも直面しているから余計に大変です。あとは地方の問題。自治体も経済的に厳しいし、自治体の意欲にも差があります。
——海外では家族の支援が大きな役割を果たしているという話もあります。
それは、とてもいいことですね。ただ日本の場合、自助努力にも限界があります。海外と違って、家族に教えてもらうということも難しい、孤立している高齢者も多いのです。厚生労働省関係も目を向けているとは思いますが、とても忙しそうですね。
——国への要望はありますか。
端末提供を1度だけするのでは足りないです。端末にも寿命があります。持続的、継続的に施策を講じてほしいです。そして、日々端末を使えるメンテナンス、サポートも必要です。これもものすごく膨大な作業量になります。持続的な利用を支えるメンテナンスの部分、その保障を政府にはしてほしいですね。
そして、家庭の中での情報端末の使用環境整備ですね。福祉的な措置として高齢者にも端末やネットワークを整備した方がいいと思います。
——民間企業へはどうですか。
民間企業については、お金にならないかもしれないが、地域社会に貢献してもらいたいです。もっと学校教育の中に企業の支援があると嬉しいです。日本の企業も苦しいから海外のようにはいかないかもしれないですが、とても大切だと思います。
——今日は有意義なお話をありがとうございました。